2012年12月29日土曜日


パレストリーナ、ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ(伊)
(Giovannni Pierluigi da Palestrina)1525~1594

 (人物)
 16世紀後半ルネサンス末期にカトリック宗教音楽作曲家として大成した。恐らく1525年、パレストリーナ後で生まれる。この町のサンタ・マリア・マッジョーレ教会の少年聖歌隊として教育を受けた。1544年から大聖堂オルガン奏者を務めた。1547年結婚。ジュリア礼拝堂聖歌隊楽長就任。サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ教会楽長、1566~1571セミナリオ・ロマーノで音楽を教えた。1571年ジュリア礼拝堂聖歌隊楽長に返り咲き、終生をこの地で過ごした。
 
(音楽)
 フランドル楽派が発展させた、ポリフォニー技術を完全に習得。初期は保守的で質の高い世俗マドリガーレを出版。晩年期はローマ楽派と呼ばれ、保守的な作風の宗教音楽の作曲に専念した。ポリフォニーを用いつつも、平明で清澄な響きを保ち、歌詞も聴き安いバランスのとれた彼の音楽は、カトリック教会音楽の理想とされた。
 (作品)
〈ミサ〉
 ・教皇マルチェルスのミサ
 ()
 ・ミサ・ブレヴィス
() 
 ・レクイエム
 ()
〈モテット〉
 ・ヴェニ・スポンサ・クリスティ
 ・バビロン川のほとりに。
 
  用語
特になし。


オルティス・ディエゴ(スペイン)
Diego Ortiz 1510頃~70

 (人物)
 ヴィオラ・ダ・ガンバの名手。ナポリ総督アルバ公の宮廷音楽家(1558~65)教会音楽も作曲しているが、初期の器楽における変奏曲の技法の開発者。

 (音楽)
 詳細情報無し
 (作品)
・ヴィオラ・ダ・ガンバのための装飾変奏論
(Tratado de glosas sobre clauslas y ortoe generos de punto en la musica de violone)
・「おお幸せな私の眼」による4つのレセルカーダ
(4 Recercada sobre O felici occhi miei )
※レセルカーダ=リチェルカーレ。この曲はJ.アルカデルトの同名のマドリガルに基づく対位法変奏曲の一種。
・「甘き思い出による3つのレセルカーダ」
(3 Recercada sobre Dolce memoire)
P.サンドラのシャンソンに基づく。
・「新しいパッサメッツォに基づくレセルカーダ」
(Recercada sobre passamezzo moderno)
・フォリーアによるレセルカーダ。
(Recercada sobre la Folia)

  用語
・特になし


2012年12月27日木曜日

波動とこの世界。


どうやらこの世界は“波動”で出来ている様だ。この一年でそれを特に強く感じる。
自分が考えたことが現実化することをよく感じるからだ。しかも、そのスピードはこの1年の間にどんどん早くなってきているように思われる。仕事をしていると、思考が現実化していることをひしひしと感じる。あぁ、悪いことは出来ないな(笑)

小学生の頃、私は魔法が使えたような気がする。相手が何を言おうとしているのか、相手の心を読むと、文字としてそれが分かった。また、テレビを観ていても、次に出る字幕が予め見えていた。
その力は大学生まで続いた。しかし大学2回生の時、大きな風邪をひいて以来その力が消えてしまったのだ。風邪が原因だったのかは解らない。
不思議な力が消えてしまった感覚を説明するのに、「天使が消えた」と表現するのが最もしっくり来る。
私の肩のあたりには、いつも私を護ってくれている天使の存在があった。私の両肩をゆっくり廻りながら浮遊しているのだ。もちろん姿は見えない。だが感じていた。今思えば、何かの守護神かガーディアンだろう。正確に言えば、消えてしまって初めてその存在に気がついた。

私は波動を一種のエネルギーだと解釈している。例えば、発明の歴史の中には、世界の全く別の場所で、同じ時間に同じ発明がポンと生まれることがある。これは、波動レベルで同調した良い例だと思う。

取り敢えず今日はこのくらいにしておく。

2012年12月26日水曜日

体を鍛える-ランニング

先ほど、30分のランニングを終えた。 

私は最近、ランニングにハマっている。 
朝3時に起きて顔を洗い、歯を磨いてプロテインを飲む。そして、常備しているドライフルーツを数種類食べる。入念なストレッチも欠かさない。 
このドライフルーツが寝起きの脳に、睡眠時に使い果たしたブドウ糖を補給するのだ。食べて1分も経たない内に頭が働き出すのが分かる。 

こうしていよいよ、ランニングに入る。私の場合、3kmを30分ペースのランニングで約240kcal消費することが分かっている。さきほどのドライフルーツはこの消費カロリー分を予め補う重要な意味があるのだ。ランニングなどの有酸素運動は、主に筋肉や肝臓に貯蔵された糖質を燃やしてエネルギーを得る。肝臓に蓄えられるグリコーゲンはそれほど多くないし、筋肉に貯蔵されている糖質も、長い運動をしていると直ぐになくなってしまう。だから、筋肉を細らせないためにも、予めエネルギー補給しておくことが大切なのだ。 


ランニングは以前から日常生活に取り入れていたが、早朝の起きたてに走ることを日課にしたのはこの1ヶ月の話だ。 
私は物心ついた頃から料理人の夢があった。そのせいか、栄養学には幼い頃から興味があった。 
そんなことで、健康に関しては以前から興味があったので、ランニングを朝の日課にしてみたのだ。 

初めは、5分走るのもしんどかった。いや、あれは「走る」とはいえない。ペタペタと「歩くよりは速い」というようなものであった。 
それが今ではそれなりのスピードで30分走ってもバテなくなったのには正直驚いた。 
徐々に距離とスピードを上げていき、ひと月ほどで今のペースに達した。 
これがまた、自分的には非常に気持がいいのだ。 

ランニングをしてよかったと思うのは、まず第一に「ご飯が美味い」。野菜やごはん、豆腐などの隅から隅までを体が逃すまいと吸収しているのが分かる。 
第2に痩せる。御飯の量をこれまでのおよそ2倍にしたのに、不思議なことに痩せる。 
第3に持久力がつく。自慢でないが、私は高校生の頃、ちょっとしたムキムキ君だった。しかし、大学生の頃、玄米を生で食べるという健康法を実践し、2ヶ月で8キロも体重を落とした。当時の体重は43.5kgまで落ちた。このとき、どうやら、骨も筋肉も相当落ちたようで、以前のような体力がなくなってしまったのである。 
それを取り戻そうと、いまランニングや筋トレに励んでいるわけなのだが、完全とはいえないまでも、少しずつではあるが以前の体力が戻ってきたように感じる。 

土日や体調の優れた日は30分走を一日に3本走る。朝、昼、晩の食事前だ。 
日常生活の移動と合わせれば、だいたい1日で10km程走っていることになるから、運動量としては、かなりのものであるはずだ。ストレッチの時間と合わせれば、エクササイズに相当の時間をかけていることになる。だが、これが私の生き甲斐の一つであり、これあっての自分だと思う。 

私は、健康は財産だと思っている。 
健康でなければ、仕事も出来ないし、ご飯も食べられない。 
健康的な体を手に入れるために、皆さんも自分の生活習慣を振り返ってみては如何だろうか。 

今日は昼ごはんの前に走れなかったから、さっき走った。 
私は晩御飯が非常に早い人間だから、今からもう一本走ることにする。